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山田伊久磨・今奈良孝行・財団法人ノリオchanによる コントグループ・エッヘのブログ
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ヤマダ、演技について触れられる

というわけで自分で自分を鼓舞しまします。ツアーを一緒に回っている大泉七々子さんよりいただいたメールをちょいと転載します。大泉さんが翻訳して下さった現地劇評の一部です。翻訳は大泉さん。下記のように謙遜なさってますが、大変凄い人です。


ウイーン新聞の劇評、例によって素人翻訳してみました。

赤字は特にあやしい部分です。

踏み込んだ劇評で、読んでいて楽しかったです。

タニノクロウは、東京の精神科医・画家・彫刻家・劇作家、そして演出家である。演劇作品“"Die Kiste im Baumstamm"において彼は、6つもの部屋をごく小さい回転舞台に詰め込んだ。うっとりとするような細密さは、日本特有のものだ。その中では、仮装行列、叫びとささやきの交互の訪れ、不意の歩み、太古の力任せな無作法さ、大衆的で粗野な狂言(能と対をなして上演されたもの)などが見て取れる。

西洋の目には、はっきりと見て取れるE.T.A. ホフマンやマックス・エルンスト、そしてアルフレッド・クビン(シュールレアリストであり、また精神分析的手法に魅了されていた)の残像が、まるで芸術作品の展示のように好ましく感じられる。

また、あたかもタニノによる知的な茶番劇のようだ。学生・ケンジのとても美しい父殺しが、彼の夢の旅(ままごとの世界の部屋や地下室で繰り広げられる)を通して描かれる。鳩時計は音を立て、小鳥が姿を現す。これもジグムント・フロイトと同じように、西洋からもたらされた物だ。牡羊と豚が木の幹から白い液体を舐め取り、彼は、実の父の尋常ならざる巨大な男根を観て、自らの男根を失う不安を抱く。それはまた変装した父、もしくは彼が28年生でありながらまだ成果を出せずに学んでいるので、彼を杖で痛めつけた悪魔なのであろうか?

ケンジは逃避するように、勉強から離れた物語(まるで精神分析的な秘密を打ち明けているかのような)を書き続ける。それは辛辣で滑稽な、またいささかやり過ぎな芸術である。2468話が既に書かれた。第2469話は、彼の父が書いた作品である。

父を恐れ、同時に探し求め、ケンジは奇妙な夢のシーンの中を追い求める。湿った地下室で、父なる木の幹の根が、ケンジを圧迫する。大きな狩人風サロンの中では、アルマジロや巨大なクモ(註:ゴキブリの間違い?)のような、粗野なものが供される。そして、約束を込めた乳白色の飲み物が、彼を天国へと導く。父はここで、それとは知られぬ姿で、彼のお気に入りの曲を奏でる。そして彼は消え去り、その後にはキングサイズのペニスの刻印が、ピアノの椅子の上に残されるのである。

鳩時計は繰り返し時を告げる。ケンジはますます慌ただしく、一人のチェスに興じる。

彼が乳白色のカクテルを飲み干した時に不安の封印が解かれ、この父をめぐる幼児的な濫用の軌跡は、とうとう二人がペニス型フルートを共に演奏するシーンで明確になるのである。

自己認識の不意な爆発である。父の頭と巨大なペニスが、息子の膝に抱かれている。

1976年生まれのタニノクロウは、舞台上で誇張された夢の解釈の上演をフロイトの街ウイーンで行なう事に、楽しみを見つけているに違いない。

舞台上に吊るされた作り物のペニスはみな巨大で、小さなディルドから椅子に至るまで、ギリシャの時代から羞恥心の限界を揺るがしてきた猥褻な滑稽劇の流れを汲み、完璧にモダンなテクニックを持っている。

また、劇中描かれる現代的な疲弊、たとえば騒音(ケンジの家の窓の外を、電車が轟音をあげて走る)、父からの成功圧力(常に複雑な公式を用いる)、また夢の中での癒す事ができない魂への自己セラピーなどが、山田伊久磨によって驚くべき説得力を持って演じられ、また我々に仲介されるのである。


Kuro Tanino ist Psychiater, Maler, Bildhauer, Dramatiker, Regisseur in Tokio. Für sein Schauspiel "Die Kiste im Baumstamm" zwängte er sechs Innenräume in ein winziges Drehbühnenhaus. Eine hinreißende Miniaturisierung, typisch für Japan. Dort wird man in den Maskeraden, im Wechsel von Schreien und Säuseln, im ruckartigen Schreiten und den brachialen Grobheiten Muster des uralten, volkstümlich-derben Kyōgen (Gegenstück zum ritualisierten Nô-Theater) erkennen. Westliche Augen laben sich, wie in einer Kunstausstellung, an Nachbildern der gezeichneten Phantasmagorien von E.T.A. Hoffmann, Max Ernst, Alfred Kubin – an einem Surrealismus also, der zum psychoanalytischen Maßnehmen verführt.

Wie auch Taninos Farce für Gebildete. Ganz schön vatergeschädigt ist der Student Kenji auf seiner Traumreise durch die Kammern und Keller einer Puppenküchenwelt! Kuckucksuhren geben Laut und zeigen ihr Vogerl. Import aus dem Westen wie auch Sigmund Freud. Ein Bock und ein Schwein zuzeln aus einem Holzstamm Milchigweißes. Der Junge hat das unüblich große Glied seines Erzeugers geschaut und Angst, sein eigenes zu verlieren. Ist es der maskierte Vater oder ein Dämon, der ihn mit dem Stock traktiert, weil er im 28. Semester noch immer erfolglos lernt? Fortlaufend notiert Kenji in seinem Studierverließ Geschichten, wie sie Psychoanalytikern anvertraut werden. Satirisch-komische Übertreibungskunst: 2.468 sind schon fertig. Nummer 2.469 wird Vaters Werk.

Die Flucht vor dem Vater, und zugleich Suche nach diesem, jagt Kenji durch bizarre Traumszenarien. In einem feuchten Keller drücken ihn die Wurzeln des Stamm-Vaters nieder. In einem Großwildjägersalon werden im Kruditäten wie ein Gürteltier und eine Riesenspinne serviert – und ein Glas Milchigweiß mit der Verheißung, es bringe ihn in den Himmel. Vater spielt hier vorerst unerkannt seine Lieblingsmelodie. Er verschwindet und hinterlässt einen Kingsize-Penisabdruck auf dem Klavierhocker. Immer mehr Kuckucke speien die Uhren aus. Zunehmend hektisch spielt er Schach gegen sich selbst. Erst als er den gelobten Cocktail trinkt, löst sich des Sohns Angstblockade. Diese Spur von frühkindlichem Missbrauch durch den Vater wird eindeutiger, wenn zuletzt beide im Musizieren auf Penisflöten harmonieren. Jäher Ausbruch der Selbsterkenntnis: Vaters Kopf und Riesending liegen in Sohnes Schoß.

Kuro Tanino, Jahrgang 1976, muss einen Spaß daran haben, szenisch überzeichnete Traumdeutung in Freuds Wien vorzuführen. Im Überhang an Kunststoffpenissen aller Größe, vom mageren Dildo bis zum Sitzmöbel, vollendet die technische Moderne die obszöne Komik, die schon seit den griechischen Anfängen des Theaters an Schamgrenzen rüttelt. Diese Moderne strapaziert mit ihrem Lärm (über Kenjis Kammer donnern Expresszüge hinweg) und Leistungsdruck (immer kompliziertere Lernformeln) die vom Vater beschädigte, auch in geträumter Selbsttherapie nicht heilbarer Seele. In Ikuma Yamada hat sie einen erschreckend glaubwürdigen Darsteller, Mittler.





Der Standardの劇評

押し入れの背後のエディプス的世界
素晴らしい!:タニノクロウによる ”DIE KISTE IM BAUMSTAMM“。 ウイーン芸術週間にて

ウイーン
東京の演出家タニノクロウは惜しみない。その豊かでシュールな視覚世界(今まさにオーストラリア初演を迎える)の題材は、彼の最初の職業に起源する。
彼は精神科医であり、それゆえ人間の不安や空想について、特別な興味を持っていた。
この、精神科のクリニックではおなじみの題材が、そのまま彼の芸術活動に続いている。
ウイーン芸術週間の招聘作品として、クンストハウスのBRUTで行なわれた究極的な手法のこの作品は、全く以て説得力のある結果をもたらした。
「Die Kiste im Baumstamm(樹の中の箱)」でタニノは、奇妙な夢の連続を、若い一人の男が、強大な父親ととりわけその堂々として根源的な性的シンボルによって苛まれるというエディプス的物語に結びつけた。
また、性の氾濫の可能性が、それを強行する事なく懸案となっている。

タニノの問題は、支離滅裂な絵や筋書き(夢がそうであるように、見慣れぬ、非現実的な事柄)を捉える事にある。
この事を彼は、息苦しさ・明るさ両面の方法で成功させている。
:「ペニスの追究」を彼は、ぞっとするようなメルヘンの形を借りて現した。
若い主人公のケンジ(山田伊久磨)は、彼の強大な父親によって数学の勉強を強制されており、ノートを持って押し入れに逃げ来み、そこで眠り込んで夢に落ちる。その夢は彼を、謎めいて入り組んだ部屋へと導くのである。(美術:稲田美智子)

その部屋には、美しくない、聞き慣れない言葉を話すメルヘンのキャラクターが住んでおり、木の幹が上下に突き刺さって生息し、鳩時計が死んだ鳥を吐き出し、レストランの仕事熱心なウエイターは巨大なゴキブリを供する。
そして、圧倒的な父親が、性的なライバルとして(少なくとも勃起したペニスの代理的存在として)、繰り返し浮かび上がるのである。木の幹からでさえ、精液が流れ出る。
これらのモチーフの内面的な意味は知的に組み立てられ、象徴を孕んだ謎の産物であり、その意味はしばしば後になってから明かされる。
奇妙でスリリングで、楽しさのいや増す夜だった。


Ödipale Welten hinter dem Kleiderschrank

Toll: Kuro Tanino zeigt "Die Kiste im Baumstamm" bei den Wiener Festwochen
MARGARETE AFFENZELLER
2. Juni 2014, 07:28
artikelbild

Wien - Der Tokioter Theaterregisseur Kuro Tanino schöpft aus dem Vollen. Den Stoff für seine üppigen, surrealen Bildwelten, die ihn nun erstmals nach Österreich führen, liefert ihm sein Erst- und Brotberuf. Er ist Psychoanalytiker und somit an Ängsten und Fantasien anderer Menschen besonders interessiert. Das in der psychoanalytischen Praxis gewonnene Material fließt direkt in seine künstlerische Tätigkeit. Ein grenzwertiges Verfahren, das als Festwochen-Gastspiel im Brut im Künstlerhaus aber ein überzeugendes Ergebnis zeitigte.
Für Die Kiste im Baumstamm verknüpft Tanino bizarre Traumsequenzen zu einer Ödipusgeschichte, in der ein junger Mann von seinem übermächtigen Vater und insbesondere dessen imposantem primärem Geschlechtsmerkmal verfolgt wird. Auch die Möglichkeit des sexuellen Missbrauchs steht im Raum, ohne diese Option jedoch zu forcieren.
Tanino geht es um die Habhaftwerdung abstruser Bilder und Abläufe - so fremd und irreal, wie Träume eben sind. Das gelingt ihm auf beklemmende wie heitere Weise: Die "Penis-Verfolgung" kleidet Tanino in eine schauderhafte Märchenfolie. Der junge Protagonist Kenji (Ikuma Yamada), der vom strengen Vater angehalten wird, Mathematik zu lernen, flüchtet sich mit seinem Schulheft in den Wandschrank, schläft dort ein, und schon geht ein Traum los, der ihn durch rätselhaft verschachtelte Zimmer führt (Bühne: Michiko Inada).
Unschöne Märchenfiguren mit fremden Sprachen bevölkern diese Räume: In Zwischenetagen wachsen Baumstämme hinauf wie hinunter, eine Kuckucksuhr spuckt tote Vögel, in einem Restaurant tischen die emsigen Kellner gar eine Riesenkakerlake auf. Und der Vater als dominierender Geschlechtsrivale taucht immer wieder auf - zumindest stellvertretend als Phallus. Sogar aus den Baumstämmen träufelt Sperma.
Kuro Taninos Theater drückt Befindlichkeiten vor allem durch die Wirkung von Räumen aus. Deren Innenleben sind klug gebaute, symbolträchtige Rätselwerke, die ihre Bedeutung oft erst später offenbaren. Ein befremdlicher, spannender, zunehmend lustiger Abend. (Margarete Affenzeller, DER STANDARD, 2.6.2014)
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スキャンされた劇評
Kronen Zeitung

秘密に充ちた自己分析

若き精神科医・演出家のタニノクロウは、自分の家で演劇を作る事を始めた。東京の住居がどんなに小さいか知っているならば、この秘密の劇場がどんなに親密な雰囲気を持っていたか想像できよう。彼が“Die Kiste im Baumstamm“で物語ったこのグロテスクな「父ー息子ー性」の基盤を成すものは、作家/演出家の自己分析であった。

1976年生まれのタニノクロウの出自は、伝統的な医者の家系である。しかし彼は、医学と精神医学を修めた後、演劇を創る道を選んだ。
「患者を治すという事より、彼らの抱える内面の問題に魅了されてしまった。」

2000年に、庭劇団ペニノを設立。このグループの創作の目的は、「型にはまった事の彼岸(反対?)を形作る」
劇場ではない空間、たとえばタニノの住宅や彼の庭の中のテントを使ったパフォーマンスや、インスタレーションの遂行によって、彼らは既成の劇場のルールを崩していった。
彼の最初の長編作品「笑顔の砦」(2007)や、メタ演劇的作品「星影のJr.」(教育プログラムの中で疑似家族を演じる子供たちを題材とした)で、タニノは2年連続して、岸田戯曲賞へノミネートされた。
”Die Kiste im Baumstamm“の為、曰く「自分特有の臆病さをより確立させるため」彼は自分自身の分析を引き受けた。そしてこの新たに得た認識によって、彼はめまいのする程の、徹底したグロテスクを描き出した。
この作品では、一人の若い男の不安とノートが登場する。彼は(彼自身とその生活に欲求され)非難の目を向ける父親から逃れ、押し入れに逃げ込んでいる。
ドアの奥に彼はパラレルワールドを発見し、不確かな旅へ出るのだった。

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スキャンされた劇評
AOMweb

ウイーン芸術週間”Die Kiste im Baumstamm“ 巨大な男根、狩猟

日本の演劇制作者、精神分析者のタニノクロウは、主人公を父親のペニスへの探求に送り出す。
世界から抜け落ちたからくり劇場

ウイーン
万物の尺度としての父親のペニス
このフロイト的視点からの去勢恐怖を、日本の演劇制作者、精神分析者のタニノクロウは彼の作品”Die Kiste im Baumstamm“(金曜の夜にウイーン芸術週間の一環としてBrutで初日を迎えた)の中心に据えた。
この巨大な男根を求める詩的な狩猟の持つ悪夢性は、万人に気に入られるものではないだろう。
もはやあまり若くはない主人公山田伊久磨)は彼の部屋の小さな机の前にうずくまり、数学の問題を解いている。その傍ら、一人でチェスをし、また長い事かけて書き溜めた数え切れない原稿をぱらぱらめくっている。
もはや4000以上の物語を彼は書いてきた。その中の一つを彼は声に出して読み上げる。それは彼の父親の男根、夕食時にはだけた着物の中から見える、巨大で美しい男根についてのものだ。
やがて扉が開きその父親が入って来て、勤勉な息子を叱る。彼は「28年間」高校に通っており、充分に学んでいない。父は彼を杖で床に打ちのめす。
この永遠の学生は、押し入れの中に潜り込み、再び目覚めた時には身の毛のよだつような世界に居る。ここでは豚と羊が住み、家には木が貫通している。
彼の本当の人生を探す旅は、ほんとうは父親を探す旅である事が徐々に明確になって来る。
さしあたり彼が見つけ得たものは、ピアノの椅子に刻印された父の巨大なペニスの痕跡だった。
タニノはこの若い男の去勢恐怖(それは意識下の無意識の、切迫した男根への熱狂の形で現れる)を、執拗に表現する(註:auf der Spitze(先端)をdie Eichel(亀頭)に掛けたジョーク?あり)。
この回転する覗きからくりの、演出家が東京の自宅でデザインして行ったという舞台は、若い男が極めて女性的な、羊と豚が調合した飲み物を味わって「天国」に辿り着くまで、悪夢の世界を次々と開いて行く。
この「天国」は、唯一只巨大なペニス群(白く、艶やかで、椅子・机・笛・壁掛けトロフィーとして使われる)で構成されている。
そこで彼は父親と再開し、ついには笛の演奏を味わう事が出来る。しかし夢からさめた時には彼は自分のペニスを失っており、作品の最後には、彼は下半身裸のパニック状態で夢の地平を疾走し、再びそれを見つけだそうとする。

この演出はグロテスクであり、潜在意識に対して忠実であり、日本において大変しばしば存在する不安、つまり自分が充分でないとか、全ての努力が報われないといった事をテーマとしている。(彼がプログラムの中で、自国の高い自殺率について解説しているように)
彼の言う事には、劇場はタニノにとって現実への代理提案である。

”Die Kiste im Baumstamm“はしかしながら非常に閉じた劇場、今日の西洋から少々抜け落ちているように見える世界、に位置している作品である。
それは美術館の展示品や芸術作品と同じように、人々が家に持って帰る事は出来ない。しかし、それは大した事ではないのだ。




| エッへ | 山田伊久磨 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、やれそうな役を自薦

写真ら島田桃依さんTwitterより転載。
ブラウンシュバイク、ゲネ後のヤマダ。
アメリカンニューシネマに出てくるホームレス、
あるいは地下に暮らす未来都市の最貧民層。
そんな役なら最高に上手くできるのではないか。
| エッへ | 山田伊久磨 | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、正しい現在の髪型

ブラウンシュバイク初日は、この髪型で。
 
| エッへ | 山田伊久磨 | 08:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダの現在の髪型

お仕事を依頼される方、いらっしましたらこちらを参考に。
11月末まではこの頭の可能性が高いです。
尚、6月19日までは日本にいません。
そんな感じで。
| エッへ | 山田伊久磨 | 19:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、ビックリして背筋も伸びる
外国にいる間は、俳優業が全ての時間だから余暇も増える。
増えます。
だからというわけではないのだが、ふとした思いつきで様々なSNSを初めてみた。
ただし、どうしても連絡をとりたい人とのライフラインの一つ、として始めたのであり、発展性は考えてません。
と、思っていたヤマダですが、ビックリすることが一つ。
二年前、残念な事に若くして亡くなってしまった知人のSNSに巡りあった。
そこはネット上の空間ながら暖かく、同時にヤマダの背筋も伸びました。
人間、一人では頑張れないものです。
ヤマダの場合ですが。
| エッへ | 山田伊久磨 | 18:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、とり急ぎ
ドイツにいますが、次回のヤマダのお知らせ。
帰国後、割とすぐ『贅沢貧乏』という若い劇団に出ます。
敬称略はすいません。
先物買い好きのヤマダですが、決して単なる先物買いではないです。
ちょっとなかなかな面白い事をやります。
思えばヤマダ、人生の半分は普通の劇場で演劇してない気が。
手短かですが詳しくは以下を。
この他にもそのうち…というプロジェクトもありますが、それはいずれまた。
これもまた、普通の演劇ではないかな。
すこしばかり。

ではまず発表できる方から。

【決定しました!】贅沢貧乏の次回公演 『タイセキ』に山田伊久磨さんの出演が決定いたしました。新たな役者さんも加わり、さらにパワーアップした作品になると思います。どうぞお楽しみに。
詳細は以下。

| エッへ | 山田伊久磨 | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、もどかしい
離れていると、もどかしい事がいっぱいあります。
そんな中でも休暇は終わり、明日からは仕込み。
ドイツに戻り再びあの空間へ入るのか。
お腹に力が入る。
役作り、という言葉は未だよくわかりませんが、本番に向けて身体が少しづつ変化してます。
ような、気がします。
人間は感情からは逃れられないな、と思います。
だからこそ、行動の目的だけは離さず生きたいものです。

| エッへ | 山田伊久磨 | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダを探せ、レベル1

劇場です。
そこはかとなくプレッシャー。
 
| エッへ | 山田伊久磨 | 06:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、ツール・ド・ブラウンシュバイク

オフです。
俳優陣はヤマダを除き、ヤマダ後輩、音響ヨッシーが率いてベルリンへ。
ヤマダはリウマチで足が腫れたため歩行がやりにくく、ブラウンシュバイクに残りました。
歩きにくいが自転車には乗れます。

乗れます。

というわけで、ウィーンに引き続き現地で借りた自転車でポタリング
目的地は何となく隣街へ。
Googleマップよ、ありがとう。
写真は途中の田園風景。
これが延々。
約20キロ、自販機もコンビニもない。
信号もない。
気分はツールかジロか、はたまたブエルタ。
しかし何故か脳内BGMは行くぜ!怪盗少女でした。
そらそうでしょうよ!
夜は一足先にゴジラ観ます。
ドイツ語吹き替えでw
| エッへ | 山田伊久磨 | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ヤマダ、オフになったのでやっと更新
更新できるような精神と肉体の状態ではありませんでした。
はっきり言いまして、とても書ける内容ではないT氏の本番中の圧力でしたw
ダースベイダーが実在するとあんな感じだと思います。
はい。
さてさてウィーン公演。
毎回毎回、四回出ても、さらにタニノ氏が出ても一向に終わらない嵐のようなカーテンコールが、
タニノ氏の作る作品の普遍性をまたしても物語っていました。
これがどれぐらいすごい事かを、ヨーロッパで観劇した事のない人に説明するのは難しいですがチャレンジしましょう。
地域にもよるんですが、欧州の観客はものすごく素直です。
褒める時は褒め、けなす時はけなす。
ヨーロッパに行った際、今まで何回か、他団体の演目を見させていただいた事があります。
メチャくちゃ観客はシビアです。
拍手は回数も熱量も様々。
65点と75点と85点が拍手で分かる。
アンケートいらないくらいわかります。
カーテンコールなかったりもあります。
六年ツアーやってますが、今までで一番反応よかった時がズーッと続いてるのが今回、かな。
そもそも、先鋭的な作品が集う大きなフェスで、
現在の世界の状況に絡めた、文化的あるいは政治的なコンセプトや、斬新な演劇的手法で勝負していない、
極めてオーソドックスと言ってよい劇が、これほど受け入れられるのは、おそらく本当にすごい事。
(優れた現代性を持ってはいますがペニノは極めてオーソドックスな古典的演劇、だと思います。特に今回は。ちょっと考えたら分かりますが、日本のその辺の下北の演劇でも商業演劇でも、ペニノなんかよりよっぽど前衛的な手法を使ってるハズです)
こんなカーテンコールがあるのを知ると、役者と乞食は三日やったらやめられない、の意味も多少は体感できます。
ま、ヤマダは今すぐでもやめらるんですが。
毎回、今日の本番が終わったら辞めよう、あるいは逃げよう、と思いつつもこんな拍手をいただけると、どうして良いかわからなくなります。
嬉しくないけど嬉しいし、嬉しいけど嬉しくないし。
基本的には作品にだけ殉じてるわけですから。
最後に。
ウィーンではめちゃくちゃ劇評でました。
オーストリア最大の新聞にでっかく劇評がのり、ある新聞は五つ星中の五つ星でした。
これは本当にすごい事らしいです。
ヤマダの手柄は何一つないんですけど。
そんなわけで。
ではまた。
| エッへ | 山田伊久磨 | 09:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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